昭和40年04月15日 朝の御理解
(中間以降聞き取り難い所有り)
諺に「六日の菖蒲に十日の菊」という。皆さん意味はご承知でしょうか。「六日の菖蒲に十日の菊」と。菖蒲というのは、あの5月の節句に飾りますねえ。実は私もその意味がわからないのです。真実十日の御本部の御大祭を拝まして頂きました時に、奥城ではたのさんが頂いておられるのがこんな事でした。御心眼に菖蒲がいっぱいこう出ておるところを頂かれた。どういう様な事でしょうか。その日に丁夜お道の新聞が参りました。その新聞にそのこれは、日本の諺としてそう言う事が書いてあった。
「六日の菖蒲に五日のあの十日の菊」と。こう言う事だったんだなあと私は思うた。博多の仙崖さんのたくさん書かれた絵の中にやっぱり五月の節句にちなんで書いておられる鐘馗様を書いておられる。五月のあの鐘馗様というのは、私は剣をこう持ってこうひげのはえた。いかにも怖いあの鐘馗様それにさんにこう書いてある。魚とらまえた酒買ってこいと書いてある鐘馗様がですねえ。鬼の子をこうひっつかまえてから、鬼の子をひっつかまえとってこういうておられることがね。
魚とらまえた酒買ってこいと後からご覧になってごらんなさい。五月のところにあの仙崖さんの絵を集めたカレンダ-がございます。あれにそんな絵がでてますよ。皆さん私がこれだけ申し上げると大体どういうな事かお分りになるだろうと思う。魚とらまえた酒買ってこいよ、それは魚というのは鬼の子をこう捕まえた。ひっつかまえた言わばその剣に一刺しに刺しそうとしながらです。魚つかまえたから酒買って来いとこう言っておられる。はたのさんが頂かれたという。
「六日の菖蒲に十日の菊」という意味がわかりますか。私は物知りの人に随分聞いたけれどもどう言う事でしょうか。分らんのです。けれど御神前に出らして頂いたら仙崖さんのその鐘馗様が鬼の子をつかまえておられるあの絵を頂きます。それから私は、ははぁそんな事だろうとこう言う事が、分ったですねえ。これはどう言う事かというとですねえ。何事にも時期が、あると言う事です。チャンスがあると言う事です。それは早すぎても遅すぎてもいけんという事なんです。
六日の菖蒲というのは、そういう意味だと思います。そうでしょうが。十日の菖蒲貰ったって何にもならんでしょうが。菖蒲というのはやはり5日の節句の日でその日一日だけしか役にたたない。10日の菊と言う事は私は分らん。けれども私は今日のご理解を頂きながら感じた事です。六日の菖蒲が遅過ぎたら役に立たないという又 早過ぎても役に立たないと言う事だとこう思う。私は今朝こんなお夢を頂いた。丁度私の2番目の娘を愛子と申します。愛子がちょうど竹藪の所に立っておるんですねえ。
そううえきが通らん様にしておるんです。見るとその足もとにですねえ。ギラギラ光るこんな大きな蛇が、そのこう愛子の方にむいておるんですねえ。それで身がすくんでしまってその動くことが出来ん程泣いておるんですねえ。それで私がこちらの方から「愛子ちゃん元気を出してそこを飛び越えてこっちにおいでと」大きな声で申しましたら、それを、乗り越えてですねえ、私のところに走りよって来たお夢でした。
いつもあの上野愛子という愛子さんの事で、天地の親神様の最高の愛と言った様な意味合いで、ご理解頂きますが、今日は所謂大坪愛子という。大坪と言う事は大きな坪です。大きな土地と言う事です。ははぁこれは御造営のいろんな話があっている。今度のお土地の事だなあと私は思った。愛子というのは勿論神様の愛だと、神様がここにおかげを下さろうとする場合です、皆さん大変ご心配頂いておりました、あの御造営のいわば敷地になります地がおかげを頂いてから、昨日定まりました。
約四反余りですかね。それに又ぜひあのここも買ってくれと言った様な話があっておる。合わせますとやはり五反余りになる。それがもうなんともかんともいえん神ながらなおかげの中におかげで、昨日その四件になっております。たくさん何人もの人のそれは、大変なややこしの問題であった。ややこしい事であった。初めは簡単にすらすらいく様な話であったから、それならばいいと後で後悔しておらんならば、丁度この新道筋の端バスの停留所の橋渡し。
しかも参道がずうっと新たな参道がついて、その向こうに大広前が出来るという。実にみただけでも飛びつきたい様な敷地であった。ところがここであの値段が、高だここがいらんという。こうがどうとこちの人達は売ると言う、売らんと言った様ないわば悪条件の中にその御用にあたられた。もうそれこそ毎日毎日一生懸命であった。それでも出来なかった。そこであの13日会の日です。所謂神の願いを成就する日といわれる13日の日にそれが、いよいよもう山場にきた。
そこで私は皆集まっておられます。その関係の御用頂いておられるまさきさんやふくしまさんそれに総代さん達に私は、申しました。もう腹いっちょ決めなさいと。私一つもう【】少しは遠いけれども土地は、買わして頂いておるのだからもうあそこを一つおかげを頂くという気持ちになってその気持ちになって総代さんあんた方がです。商売人の誰々任せるだけではなく、一つ体当たりでぶつかりなさい。その一人一人に実はねもう真実心はです。私のお願いをです。
その一人一人の地主さん達に体当たりしなさい。実高過ぎるというておられるところのです。あの高く売りたいところの私共の計画では、買われないとここまでのけてなければ、又売らんと言う人には、一つですそこの行をとれてひとつ相談は、出来んのだろうか。というふうにです。全部今日は皆さん体当たりであたっておいで腹は、もういらんという気持ちになりなさいと腹決めて行きなさいと【】魅力をたとえば感じておる。【】なるほどそういう土地なんです一心にしてもです。
だから四人の中の一人でも反対があったり売らんといったりいろんな条件をつけられると言う様な事があってもです。私は【】断念する以外には、ありません。四人の皆さんが全部協力して下さるか下さらんかと言う事で定まるもんですから。どうぞその話をしてきて下さい。ですから皆さん13日会にみえておられた方は、ご承知でありましょた様にその方達が代表で、こちらで13日会を開かれておる。皆さんが応じられたわけなのです。そして話をしてみられました。
一番難しいというておる所が、一番みやすうできておる。しかも30万からの金額をです。負けようと【】難儀に感じておった。いわばそれが条件です。そして【】ゆうておったその分だけが、昨日の朝申しました様に朝3:30までにかかったのです。おかげ頂いてからに昨日まあ一抹の不安は皆さんあったんですねえ。もう一晩のうちに四人の事だから崩れるという場合があります。
手付けをうっている訳じゃなしただ売りましょう。買いましょうといった話が、決まっただけなのでございましたから。昨日古賀先生とふくしまさんがその事にあたられましてから応じられました。おかげで無事に手付けをうつことができました。もうこの事だけでもです。もう実に早すぎてもいかん遅すぎてもいかんいわば13日の神の悲願の達する日まで神様が様々な問題をもってです。いろんな準備をしておってくださったことがわかるでしょうが。
皆さんここまでお話をしてまいりますと六日に菖蒲に十日に菊のその意味が、段々わかってきたでしょう。どうですか。魚とらまえた酒買ってこいという意味がわかってきたでしょう。ご理解頂くところがねえ。心がそこに集中して頂かなければつまらんあつみ、こっち見してよそ見しておってはつまらんあの御理解最後はどう言う事が出るだろう、ああでもなかろうか親先生は、こう教えようとしておられる。
という様にです。そこのところに焦点をおいてから時間が気になったり暑い寒いが気になるようでは、わかりゃしません。信心の一番大事な事を頂いておるのであるから、今朝から頂いたお夢というものをいわばこの3つの話を焦点にかんねんしてお話したから皆さん大体お分りになっておるだりうと思うですが、大坪愛子といういわゆるお土地の問題が例えば、まだこれで全部前納したのでもなかろうか。
それがどうなったと言う事では、ないけれどもそこでそこでは、また必ず次の問題があると言う事しかもそれは、飛び越え蛇に似た様なものが、足もとにいわばなと言うとると言う事そこをです。そこを乗り越えしたところにです。なるほどこれが神愛であったなと言う事がわかるのです。そう言う様にです。やはり早過ぎてもいかん遅すぎてもいかんという、時期というものがチャンスが、あると言う事。チャンスを逸してはならないと言う事。お互いの心の中にです。
どうしてこの問題がいつまでもこんなにしているのであろう。どうしてこの願いが叶わないのだろう。どうして何時までもおかげ頂けきらんだろうか。と言う事があるでしょうが、同じ問題を例えば健康なら健康でもと言う事でもそれが、修行と頂ききらんけれども終いには、医者じゃ薬じゃと言った様に迷うてしもうてから、どうしてこういつまでも難儀が続くのであろうかという所に、焦点をおかずいわゆる自分の心の思う、とらまえるまえの事のもひとつ焦点を、おかずそういう時がチャンスなのだと。
自分の心の鬼をつかまえな。用心せよ。心の鬼がわが身を責めるぞと難儀のもとは、お前の心の中には、鬼がおるからなと言う事なんだと。だからそうした難儀を感じる時に自分の心の中の鬼をとっつかまえて、さあ元気が必要だと言う事。私は、十日の菊とは、意味が違うでしょう。けれども十日と言う事は、信人さして頂くうえには、お日柄である。4月の10日10月の10日といやあ御本部の御大祭教祖の神様の【 】の日でもある。菊というのは椛目の信心の芯所であると言われている。
そういうお日柄であるというか。そういうおかげを頂くというか。そういう私チャンスです。私どもが、いつも必死と失っている事は、ないだろうか。自分の心の中にこれが、おかげをいただけないもとだという。いわば鬼心のひとしおをひっつかまえておいてさあこれを魚に一杯やろうかという有難き勿体なき恐れ多きという御神酒をこうてこいという事になるのだと。
【 】合点がいかん様な訳私は、そう言う事をいおうとして私では、ない神様がそう言う事を教えてくださろうとして、只今の様なお知らせを下さったのだという。私は思うのです。【 】皆さんの信心でひとつ【 】味わえもってみてご覧なさい。自分のいわば自分の足もとが、【 】蛇の怖さに身が固まってしもうて動く事ができんと言う事【 】乗り越えていないと言う事。自分の中の心の鬼をいわば見極めては、いないと言う事、捕まえては、いないと言う事。
今度はなるほど有難いもったいなきの御神酒をこうてくる。事もできるのだと言う事。どうぞ、この六つの事私共の娘が、足もとにおる蛇のため動く事が出来なくなっている。私が、大きな声でそこを飛び越えて来いというて飛び越えたところにおかげが頂けておる。いわゆる大坪のおかげがうけられておる。いわばお土地のいわば【 】手付けのその【 】のところをです。手付をうち済ませて頂く様お繰り合わせになっておる。それは、ひとつのチャンスがある。やはり十三日という神の願いの叶う日と成就する日という様なお日柄にです。
それ、話がそこまで皆さんが、乗り越えられた体当たりされたと言う事。皆さんの家庭のうえにおいても皆さんの上のおいても同じ様な事がいえる。そこでただ今申します諺に六日の菖蒲に十日の菊という意味がお分りになったでしょう。仙厓さんが書いておるその絵の中にさかなとらまえた酒かってこいという鐘馗さまの絵の事が、意味がわかるでしょう。私はそういう信心がです。
例えば乗り越えてそこには、又次の難儀がありましょうけれどもその難儀というかそこを力にして克服してゆきこの様な神ながらなおかげが、うけられるという。神ながらなおかげを頂いていく為にです。そこに焦点をおかなければ焦点をおいているようであってもすぐあれに迷いこれに迷うては、いわばそうした素晴らしいチャンスをです。逃がしてしまう。西洋の諺に鉄は、熱しているうちに打てという諺がある。
鉄は、真っ赤に焼けておる。熱しているうちにですうたなけれべ形は、かわらんというやはりこれもチャンスのこえだと私は、思うんです。自分の思いがばあと【 】勢いの時です。本気で自分の心の中のです。鬼を発見してもらい 【 】酒かってこいという事になってこなければ有難き勿体なき恐れ多きの有難い事には、ならない。勿体ない事じゃなとどんなに考えても畏れ多い忘れられないと言う様な事だとおかげを頂かれんと私は、思うですねえ。